山聲(やまびこ)山旅

琵琶湖の東岸、彦根をベースキャンプにしたハイキングや旅行、古寺探訪など、時々の移ろいをカメラで切り取ります
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関ヶ原古戦場を歩く
03月26日(木)、岐阜県関ヶ原の古戦場にでかけてまいりました

関ヶ原古戦場は今も昔も交通の要衝です
東海道新幹線、JR東海道本線、名神高速道路、国道21号、中山道が通る
文字どうり日本の大動脈の要です

また、律令制が始まった時に設けられた日本三関(鈴鹿関、愛発関、不破関)のひとつである
不破の関があります
この関を境に、関東・関西と呼ばれるようになり
食の味付けもこの近辺(大雑把ですが)で変わるとされています

5月初旬の陽気に汗が噴き出すなか、関ヶ原の合戦の陣地跡を巡ります
あまりにも多くの史跡があり、(編集子には)一日では全部は回りきれません
その代表的なところを一筆書きで回ります
城山(南北朝時代の砦跡、伊吹山眺望)は古戦場巡りでは場外になりますが
古戦場が樹間から垣間見えることから立ち寄るのも一考かと思います
アスファルト道路を多く歩きますので、無理しないようのんびりと
山は逃げませんから・・・・


山聲(やまびこ)hp:関ヶ原古戦場/城山



開戦地 左:天満山=宇喜多秀家陣跡、右:西天満山=小西行長陣跡

時は慶長5年(1600)9月15日、08:00過ぎ
東軍の松平忠吉(徳川家康の四男)、後見(舅:忠吉の正妻の父)の井伊直政の小隊が
   朝霧の中、状況視察と最前線に進み出て、西軍の宇喜多隊に仕掛ける
東軍の先鋒を任されていた福島正則は、井伊隊の抜け駆けに激怒
この発砲をきっかけに、福島隊が西軍:宇喜多隊に襲い掛かり激戦の火蓋が切られた

これに遅れじと
東軍:藤堂隊・京極隊が西軍:大谷隊に
東軍:織田・古田隊が西軍:小西隊に
東軍:徳川譜代の松平・井伊・本多隊が西軍の島津隊に
東軍:黒田・細川隊が西軍:石田隊の先鋒島隊に
攻めかかり激戦が始まった


関ヶ原合戦の解説の多くが、東軍からの視点で記録がされているように見られます
上記の表現をとっても
西軍が東軍に攻めかかったとはされていません
太田牛一の「信長公記」にしても、秀吉の出生については脚色されていると言われます
歴史は勝者の記録であり、真実を読み取るのは歴史の研究者でない者にとっては至難です
無知な編集子は、右往左往するばかり・・・・
資料片手に、現地であ〜の、こ〜のと見て回るのが関の山・・・・

いずれにしろ
当時の人口の1%にあたる15万人(諸説あり)という人たちが
徳川家康と石田三成という二人のリーダーのもと、関ヶ原という狭い盆地に集結し
命を賭して戦ったことは、伊吹山が見ていたと思います
その証人の声が聞こえればいいのですが・・・・






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